石上(いそのかみ)神宮
日本最古の神社の一つで、日本書紀には「石上神宮」と「伊勢神宮」だけが『神宮』と記されています。
飛鳥時代の豪族、物部氏の総氏神とされ、御神体として神武天皇の国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」や、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した神剣「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」などをおまつりしています。
拝殿(国宝)
当神宮を崇敬された第72代白河天皇が、1081年、当神宮の鎮魂祭のために宮中の神嘉殿(しんかでん)を移したものと伝えられています。拝殿としては国内最古のもので、国宝に指定されています。
禁足地

石上神宮にはもともとは本殿がなく、拝殿後方の地を「禁足地」と呼び、御神体が鎮まる最も神聖な霊域とされていました。
当神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があり、明治7年8月に当時の大宮司が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などと共に神剣「韴霊」が出土しました。
その後、明治43年から大正2年にかけて神剣「韴霊」を奉安するために本殿が建立されました。
御神剣まもり

百済から献上されたとされる御神宝「七支刀」(国宝)を描いたお守りで、“ピンチを救う” 起死回生のお守りとして人気があります。
御神鶏

境内に入ると、約30羽の色とりどりの鶏が、人なつっこく迎えてくれます。鶏は古く『古事記』『日本書紀』にも登場し、暁に時を告げる鳥として神聖視され、神様のお使いとされています。
大和朝廷の武器庫
強力な武力を持つ物部氏は、石上神宮に多くの武器を保管し、大和朝廷の武器庫となっていました。
794年(延暦13年)、桓武天皇は都を京に遷都し、武器貯蔵庫である石上神宮から、都に近い山城国葛野に武器を移すことにしました。
しかし武器を移動させてから天皇が病気になり、巫女を呼んで祈祷してみると『歴代天皇が納めた神宝である武器を動かすこととは何事である』と神の怒りが判明したため、武器は再び石上神宮に戻され、平安時代になっても朝廷の武器貯蔵庫として残されました。
纒向(まきむく)遺跡
JR巻向駅周辺にひろがる纒向遺跡は、発生期古墳が日本で最初に築かれている事、農耕具が殆ど出土せず、土木工事用の工具が圧倒的に多い事等、他の一般的な集落とは異なる点が多く、ヤマト政権発祥の地、そして邪馬台国畿内説の最有力地と目されています。
このイベントで直接纒向遺跡は通りませんが、隣接する、石上神宮と大神神社を結ぶ「山辺の道」は、間違いなく当時の幹線道路で、卑弥呼もこの道を通っていたかもしれないと考えると、古代ロマンを感じます。
倭建命が故郷を思って歌った『古事記』の「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣(あをかき) 山籠(やまごも)れる 倭し麗(うるは)し」は、この辺りの情景を歌った歌と言われています。
狭井神社

三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社。力強いご神威から病気平癒の神様として信仰が篤い。
4月18日の鎮花祭は上古からの由緒をもち、「薬まつり」の名前でも知られ、全国から多くの薬業関係者が訪れる。
薬井戸
拝殿の左後ろにある井戸は、「狭井」の名前の由来になっており、太古から万病に効く『薬水』として、多くの人が訪れています。
大神(おおみわ)神社
日本最古の神社といわれている大神神社は、本殿がなく、三輪山そのものがご神体とされています。
三輪山は、太古の昔から「神の宿る山」として崇められてきた聖地で、一木一草にいたるまで伐採を許されず、近年まで立入禁止とされていました。
現在は、許可を取れば入山できますが、あくまでも信仰目的に限られ、「撮影禁止」「飲食禁止」「三輪山で見た事をむやみに人に話してはいけない」などの決まりがあり、謎に包まれています。
また三輪山は、「呼ばれた人しか登れない」事でも有名で、いくら計画しても、天候不良や何かの理由で中止になってしまうという話は無数にあり、日本随一のパワースポットとも呼ばれています。
巳の神杉
大物主大神の化身とされる白蛇が棲むことから名付けられたご神木。樹齢500年とも言われ、蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている。実際に白蛇を見たという目撃証言も後を絶たない。
夫婦岩

大神神社は「運命の赤い糸」の発祥の地ともされ、大物主大神と人間の女性の恋物語があり、「赤い糸をたどると、三輪の社まで続いていた」というロマンチックな伝説が残っています。二つの岩が仲良く寄り添っている『夫婦岩』は、良縁や夫婦和合を願う人々から信仰を集めています。
なでうさぎ
三輪山・大神神社の祭神は、「因幡の白うさぎ」を助けたことでも知られる大物主大神で、参集殿の玄関には「なでうさぎ」と呼ばれる兎がいます。この兎を撫でると、運気アップに加えて、なでた部分の体の痛みをもとってくれるとか。