高野街道
高野街道とは、京都・大阪と高野山を結ぶ街道で、平安時代以降に参詣の道として利用されていました。
京都・八幡から生駒西麓を通る東高野街道と、堺から始まる西高野街道などがありますが、河内長野駅前辺りで、一本に合流し、紀見峠を越えて高野山に向かいました。
特に河内長野から三日市にかけては、歴史ある街並みが残り、旧々街道(旧高野街道)を「高野街道」と銘打って、観光名所化・ルート整備がされています。
天野酒

300年近くの歴史を持つ「西條蔵」が、天野山金剛寺の銘酒『天野酒』を復活させ、今に伝えています。
「さかみせ」と呼ばれる旧店舗とそれに付属する「土蔵」は、国登録の文化財に指定されています。
烏帽子形八幡神社

鎌倉時代末期、楠木正成は幕府への抵抗の拠点とするために、現在の大阪府南部に7つの城を築きました。
そのうちの一つが、烏帽子形山の山頂に築いた烏帽子形城であり、その守り神として建てられたのが、烏帽子形八幡神社(えぼしかたはちまんじんじゃ)で、本殿は国の重要文化財に指定されています。
三日市宿高札

江戸時代、三日市は、高野詣での人々の往還筋に当たり宿駅としてにぎわっていたため、ここに高札場を設け、人馬継立の賃金札及びお定書の高札を掲げ、通行人に告知していました。
これは復元されたものですが、実際の高札を烏帽子形八幡神社が所有していて、河内長野市の市指定文化財に指定されています。
旧三日市交番

昔の三日市宿内に立地し、平成19年まで、大阪府警察三日市交番として実際に使われていました。
洋風と和風の建築様式がまじりあった、府内最古の木造駐在所建築物です。
木造駐在所の形態を今日に伝える貴重な遺産であり、かつての宿場町の雰囲気を残す周囲の景観によく馴染んでいることから、平成22年10月7日に河内長野市の指定文化財となりました。
油屋跡

三日市は宿場町として栄え、中でも「油屋」は江戸時代に、本業は菜種油の製造・販売を営みながら、高野詣の本陣格の旅籠(旅館)として有名でしたが、戦後交通網が発達し、高野街道を歩いて参詣する人が減少し衰退してゆきました。
幕末の文久三年には、天誅組の一団が油屋で一泊したあと、観心寺 後村上天皇陵、楠木正成公の首塚に参詣して尊皇攘夷の成功を祈願し五條へ向かったそうです。
トトロ街道
三日市町駅から天見駅の間にある南海高野線の廃線跡であり、全長約5km弱のサイクリングロードになっています。
幻想的な緑のトンネルをくぐり抜けることから、自転車乗りの間で評判となり、いつしか『トトロ街道』と呼ばれるようになりました。
サイクリングロードですが、大阪市内から遠く離れているため、ロードバイクもまばらで、どこか懐かしい日本の原風景が広がる、魅力的なハイキングコースコースとなっています。
大地の里「友邦」

地元の農産物を使い、地元のお母さんたちが、昔ながらの方法で美味しい加工品を手づくりしています。
毎週金・土・日曜日に作られる 、「へっついさん(かまど)」 でご飯を炊いた『友邦の週替わり弁当』や、手づくりジャムなどが人気でしたが、現在はHPも閉鎖され、SNSも更新されていないので、コロナで営業停止している可能性もあります。
天見の八重桜

南海高野線「天見」駅の改札を出て左手に歩いてゆくと、八重桜が咲く遊歩道が続きます。
河内長野市民の有志によって手植えされたもので、「南海電鉄100駅自慢」に選ばれている桜通りです。
大阪で最も遅咲きの花見スポットです。