奈良公園
『奈良公園』は、世界遺産「古都奈良の文化財」に指定されている春日大社、興福寺、東大寺、春日山原始林をはじめ、それらの緩衝地帯も含めた広大な都市公園。
奈良の代表的な観光地であり、日本で最も知られる公園の一つとして、国指定名勝、日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選などにも選定されています。
浮見堂

鷺池に浮かぶ浮見堂の風景は、奈良公園内の代表的な「水辺の風景」として季節ごとの彩りを見せ、奈良県の景観遺産に指定されています。
若草山

年に1度の「若草山焼き行事」でも有名な若草山。3つの笠を重ねたように見えるため「三笠山」とも呼ばれています。
面積33ヘクタールの芝生に覆われた山で、標高342メートルの山頂は、奈良盆地を一望できる、古都随一の絶景スポット
山頂にある『鶯塚古墳』は、古墳時代の5世紀頃の築造とされ、清少納言が「枕草子」で、「みささぎは うぐひすのみささぎ。」と書いている「うぐいすのみささぎ」がここだとされている。
春日山原始林

春日大社の神域として、1000年以上も伐採が禁じられていたため、カシ、シイ類を主体とした常緑広葉樹林の原始林を形成しています。
1955年(昭和30年)に国の特別天然記念物に指定され、1998年には春日大社と一体となった文化的景観が評価され、ユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」の一つとして登録されました。
鹿

春日大社の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。
現在も天然記念物として大切に保護され、奈良公園内には、約1300頭もの鹿が生息しています。
DNAの解析から、奈良の鹿は、約1400年前に分岐して独自の進化を遂げてきた事がわかってきましたが、これは春日大社の創建時期(768年)とほぽ一致します。
「鹿せんべい」以外の餌をあげる事は禁止されています。
興福寺
藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大し、奈良時代には南都4大寺として栄えました。
平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。
中金堂

中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等の創建と伝えられます。
創建当初の中金堂の規模は当時の奈良朝寺院の中でも第1級でした。
五重塔

国宝に指定される日本で2番目に高い塔で、古都奈良を象徴する塔です。
創建当初の高さは約45mで、当時日本で最も高い塔でした。
南円堂

「西国三十三所」の第九番札所として人々の参拝が多い御堂です。
藤原氏の中でも摂関家となる北家の力が強くなり、北家ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めました。
基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら築き上げたことが発掘調査で明らかにされました。
猿沢池

興福寺の放生池で、水面に興福寺五重塔の影が映る様子は、奈良公園には欠かせない景観の一つに挙げられる。
甲羅干しをする亀でも知られている。
奈良時代、帝の寵愛が衰えたことに悲嘆した釆女が身投げをしたとの言い伝えもあり、池畔には祭神を釆女とする釆女神社がある。
東大寺
東大寺と言えば、『奈良の大仏』が有名ですが、拝観料がかかるため、今回は大仏殿は素通りです。
南大門

国宝である東大寺南大門は、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構です。
屋根裏まで達する大円柱18本は21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもあり、わが国最大級の重層門です。
金剛力士像

言わずと知れた、運慶・快慶作の国宝『東大寺南大門 金剛力士像』。
わずか69日間で造像された巨大像で、像高はいずれも8.4m弱ある。
春日大社

もともとこの地は、御蓋山を中心とする神地でしたが、平城京遷都にともない、茨城の鹿島からタケミカズチノミコトを迎えたのが、春日大社のはじまりといわれています。
藤原氏の氏神として、興福寺とともに隆盛を極め、平安時代には、南都(春日大社・興福寺)・北嶺(日吉神社・延暦寺)と呼ばれ、朝廷にも大きな影響力を持っていました。
灯篭

春日大社は、燈籠の数が日本一多い神社。参道から本社まで合わせて、石燈籠約2,000基、釣燈籠約1,000基の計約3,000基もの燈籠が並んでいます。
古くは300年以上の時を経たものも多数あり、社寺の参道に燈籠を並べる風習は当社から始まったとされます。
その昔、燈籠には毎晩火が入り、そのゆらめく明かりで幽玄な世界が広がる聖域でした。
砂ずりの藤

慶賀門を入った所の棚造りの藤で、5月初旬頃に花房が1m以上にも延び、砂にすれるということからこの呼名があります。
摂関近衛家からの献木と伝えられ、『春日権現験記』にも書かれている古い藤であり、 樹齢700年以上といわれます。