
現在の雲雀丘花屋敷駅の北には、かつて霊泉が湧いていたという言い伝えがあり、明治40年前後に『花屋敷温泉』が掘り当てられ、『桃園温泉』、『新花屋敷温泉』へと変遷していきました。
温泉は、食堂、娯楽室等が備わった建坪2百坪の洋風木造2階建てで、隣接の遊園地は2万坪あったそうです。日本初のトロリーバス路線である「日本無軌道電車」を開通させるなど話題を集めました。
その後、昭和30年代になると『花屋敷ゴルフ場』の造成が始まり、昭和48年に三木市に移転した後は、外来種のハリエンジュが在来樹種を駆逐して荒れ放題となっていたのを、地域の人々が協力して、里山の植生の保全・再生を図り、2010年5月に『北雲雀きずきの森」としてオープン。広く市内外の方々に森林浴やバードウォッチングなどで親しまれています。
みはらし広場

きずきの森で最も眺望の開けた所です。
猪名川、空港や大阪平野、生駒山系も望めます。
初日の出や猪名川花火大会には大勢の人が訪れます。
野鳥の草原

野鳥の餌になる草木が繁茂しており、野鳥観察のポイントになっています。
2020年秋に開水路(せせらぎ)が造られました。
野鳥の水場になる事が期待されています。
桜の園

ヤマザクラなどの大きな桜の木が多い所です。
春の開花期は見事です。
開けたスペースにはエドヒガンなどの植樹をしています。
さくらの林

東側は、県の緑化事業を利用してエドヒガンを植樹した林です。
西側の林は、ヤマザクラが多くほとんどの木はゴルフ場閉鎖後に自然に生えてきたものです。
きずきの広場

ゴルフコースの跡地です。
西側の草原は、年に数回草を刈ることによって、背の高い草が育たないようにしています。バッタ類が多く棲んでいます。
東側は外来種ハリエンジュを伐採した跡地に、クヌギ・エノキなどの落葉広葉樹を植樹し、カブトムシ・クワガタ・タマムシなどの甲虫やオオムラサキなどが棲む林をめざしています。

山号は「神秀山」。スサノオノミコトが高天原から出雲国に追放された際に、「この地に降臨し給ふ由縁をもって、神秀山と称しまた大慈悲の霊場なる故に千手院と号する」と『摂陽群談』に記載がみられます。
寺伝では、奈良時代に聖武天皇の勅願によって勝道上人が日本全国に「満願寺」を創建することとなり、当寺はそのうちの摂津国満願寺であるとする。のち源満仲が多田に館を構えて以来、源氏一門の祈願所になりました。
満願寺町は川西市の飛地であり、周囲は宝塚市となっています。
坂田金時の墓

坂田金時の幼名は『金太郎』といい、童謡「まさかりかついだ金太郎...♪」のモデルになった人物です。
金太郎は天暦10年(956年)5月に生まれ、足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育ちました。
ある日、源満仲の子、源頼光が足柄峠にさしかかった際、金太郎の力量が認められ頼光の家来となり、京にのぼり頼光四天王の一人になりました。
ちょうどその頃、丹波の国の大江山に住む鬼の頭目、酒呑童子が都に現れては悪いことをして民衆を困らせていました。源頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)たちは山伏に身をかえ神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って、みごと酒呑童子を退治しました。
三廟

源満仲の末子、美女丸は素行が悪く、見かねた父満仲は美女丸を寺へ預け、僧になるための修業をさせることにしました。
時が流れ、父満仲は十五才になった美女丸を呼び寄せましたが、経文すら読むことができなかった美女丸に怒り、家臣の藤原仲光に美女丸の首をはねるように申しつけました。
しかし、仲光はどうしても主君の子の首をはねることができず、我が子の幸寿丸の首を満仲に差し出し、美女丸をひそかに逃がしました。
後に幸寿丸が自分の身代わりになってこの世を去ったことを知った美女丸は、悔い改めて比叡山で荒行に励み、やがて源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)という高僧になりました。
ある時、師の源信僧都に伴われて当山(神秀山 満願寺)を訪れた源賢阿闇梨は、年老いた源満仲と母公に再会し、自分が美女丸であることを明かしました。驚き喜ぶ母でしたが、その両目はすでに見えなくなっていました。
それを知った源賢阿闇梨は当山に留まり、阿弥陀如来に誓願をかけ、母公の両目が全快するという奇跡が起こりました。
『三廟』には、美女丸・幸寿丸・藤原仲光の供養塔です。
せんじゅ桜

目線の高さに花が咲く、珍しい低木の「ソメイヨシノ」。
元々水田であったため、桜の根が粘土層を突き抜けられず、横に横に伸びたため、枝も上に伸びずに、横に横に広がったそうです。
当山のご本尊千手観音菩薩の力強い救いの手が四方へ無数に伸びているように、枝をいっぱい周囲に伸ばしている姿から「せんじゅ桜」と名付けられました。
参道から続く『せんじゅ桜の庭』は、一見の価値ありです。
最明寺滝
鎌倉時代に北条時頼が出家し、最明寺入道と名乗ってこの地で庵をつくった所からこの地域を最明寺と呼んだことに由来しています。
三方を崖に囲まれ、落差約10メートルの滝の脇には不動明王をまつる祠(ほこら)もあり、どこか神秘的な雰囲気が漂います。